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東京高等裁判所 昭和39年(ネ)2516号 判決 1966年4月12日

控訴人 岡田とく

被控訴人 中島政一

主文

原判決を取り消す。

被控訴人と訴外粟野千代子、同粟野正、同粟野信子との間の東京地方裁判所昭和三五年(ワ)第六五二八号家屋収去土地明渡等請求訴訟事件の判決の主文第一項に基づく被控訴人の控訴人(右訴外人三名の承継人)に対する強制執行はこれを許さない。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

本件につき当裁判所が昭和三九年一〇月二二日なした強制執行停止決定はこれを認可する。

前項に限り仮に執行することができる。

事実

控訴人は主文第一ないし第三項と同旨の判決を求め、被控訴人代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、控訴人において後記のとおり述べ、乙第一一号証の成立を認め、被控訴人代理人において後記のとおり述べ、乙第一一号証を提出したほか、原判決の事実摘示(但し原判決二枚目表六行目に「四〇坪五合」とあるのを「四〇坪五勺」とあらためる。)と同一であるから、ここにそれを引用する。

(控訴人の陳述)

(一)  控訴人はその競落した本件建物の敷地の使用について被控訴人と交渉しようとして競売期日の数日前に被控訴人方を訪ねたが不在のため会うことができず、実際に被控訴人またはその代理人松本弁護士と交渉をはじめたのは競売期日の翌日以後である。この交渉において控訴人は被控訴人に対し借地権設定の対価として金一五〇万円位の金員を提供すべき旨を申し入れたものである。

(二)  被控訴人が粟野らに対する判決を債務名義として本件建物の競売を申し立てた債権額、および右競売事件において被控訴人が配当を受けた債権額がそれぞれ被控訴人主張のとおりであること、ならびに被控訴人が右の判決につき控訴人に対する承継執行文を受けたのが被控訴人主張の日であることはいずれも認める。

(被控訴人代理人の陳述)

(一)  控訴人が被控訴人に対し、本件建物の敷地を賃貸してもらえればある程度の金員を提供してもよいとの申し入れをした事実は認める。

(二)  被控訴人の粟野らに対する建物収去土地明渡請求事件の判決がなされた当時から、本件建物の敷地は被控訴人の所有である。

(三)  右の判決を債務名義として被控訴人が本件建物の競売を申し立てた債権は、(イ)粟野ら三名が各自被控訴人に支払うべき金二六、一三六円の三人分金七八、四〇八円と(ロ)右三名が各自昭和三五年七月二三日以降支払うべき毎月金四二六円宛の金員との合計額であり、被控訴人が右競売事件において配当を受けた金額は、右(イ)の金員の全額と、(ロ)の昭和三五年七月二三日から昭和三七年六月一三日までの右のとおりの話合による金員の合計金二八、九九五円、総計金一〇七、四〇三円である。

(四)  被控訴人は右の債権について粟野ら三名に対し競売申立以前に支払の交渉などをしたことはない。

(五)  被控訴人が前記判決の主文第一項につき、控訴人を粟野ら三名の承継人として承継執行文の付与を受けた日は昭和三七年七月二三日である。

理由

一、被控訴人を原告、訴外粟野千代子、同粟野正、同粟野信子を被告とする東京地方裁判所昭和三五年(ワ)第六五二八号家屋収去土地明渡等請求訴訟事件につき昭和三五年一一月二日に言渡され、その頃確定した判決が存在すること、右判決はその主文第一項において右訴外人らが被控訴人に対し東京都大田区久ケ原町八一四番地宅地二〇〇坪のうち九八坪五合を地上の木造瓦葺平家建居宅一棟建坪四〇坪五勺(以下本件建物という。)を収去して明渡すべきことを命じ、第二項において右訴外人らが各自被控訴人に対し金二六、一三六円および昭和三五年七月二三日からみぎ土地の明渡済まで一ケ月金四二六円の割合による金員を支払うべき旨を命じていること、みぎ土地はもともと被控訴人の所有であること、被控訴人は粟野らに対し右判決主文第一項に基づく強制執行を行うことなく、同第二項に基づく金銭債権の満足を得るため昭和三七年一月九日本件建物の強制競売を申し立てたので、この申立は東京地方裁判所昭和三七年(ヌ)第三号事件として同裁判所に係属したこと、右事件につき同年二月二〇日に本件建物の最低競売価額を金一四八万円と定めて競売および競落期日の公告がなされたところ、右の競売期日に控訴人が右の価額により競買申出をしたので、同年三月二〇日に控訴人を競落人として競落許可決定がなされ、その結果控訴人は右代金を完納して同年六月二一日に本件建物の所有権移転登記を受け、同月二九日に建物の引渡しを受けたこと、被控訴人は右競売事件において同年六月一三日その主張のとおり合計金一〇七、四〇三円の配当を受けた後、同年七月二三日に控訴人を粟野ら三名の承継人なりとして前記の判決に承継執行文の付与を受け、これに基づいて控訴人に対し本件建物の収去とその敷地の明渡しとの強制執行をしようとしたことは、いずれも当事者間に争いのない事実である。

二、そこで、控訴人主張の異議事由について順次検討する。先ず、被控訴人の粟野ら三名に対する前記判決が、被控訴人と粟野らとの間の本件建物の敷地の賃貸借契約の終了を理由として右敷地の明渡しを命じたものであることは当事者間に争いがない。控訴人は、右のように被控訴人の債権的請求権に基づいて土地の明渡しを命じた判決は、被控訴人の土地所有権に基づく妨害排除のような物権的請求権を認めて明渡しを命ずる判決とは異なり、口頭弁論終結後競落によつて本件建物の所有権を取得した控訴人に対して効力を及ぼさない旨を主張する。しかし、被控訴人の粟野ら三名に対する前記判決は本件建物の敷地の賃貸借終了を理由とするものではあるけれども、右土地の所有権が被控訴人に属することもまた前示のとおりであるから、単に債権的請求権のみを有するものが右のような判決を得た場合(例えば土地の貸借人が賃貸人に対し土地の引渡しを求めて勝訴したような場合)とは異なり、右確定判決の効力は、当該訴訟事件の事実審の口頭弁論終結後に地上物件を譲受け(その譲受けの原因が売買のような任意処分であると競落のような強制処分であるとを問わないことはもとより当然である。)て土地の占有を承継したものに対しても及ぶものと解するのが相当である。したがつて、控訴人は本件建物の所有権を競落によつて取得したことによつて、粟野ら三名の承継人として、同人らに対する被控訴人の前記確定判決の効力を受けるものというべきであり、右と異なる見解を前提とする控訴人の主張はこれを採用することができない。(なお、控訴人は、控訴人が民事訴訟法第二〇一条第一項後段にいう「その者のため請求の目的物を所持する者」にもあたらない旨をも主張するものの如くであるが、控訴人に対する本件承継執行文の付与は控訴人を同条同項前段にいう「承継人」として付与されたものであることは前示したところから明らかであるから、控訴人の右の主張はそれ自体無意味な主張であつて採ることができない。)

三、次に、成立に争いのない甲第一、二号証、同第七ないし第一〇号証、同乙第一ないし第五号証、同乙第一一号証、本件弁論の全趣旨によりいずれも真正に成立したものと認める甲第三号証、同第四号証の一、二、同第五、六号証、乙第七号証、原審証人松本包寿、同石原達三の各証言、原審における控訴人および被控訴人の各本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

前記粟野ら三名に対する訴訟事件において被控訴人の訴訟代理人であつた松本包寿弁護士は、前記判決の確定後これに基づく強制執行を被控訴人から委任され、昭和三六年九月二一日に粟野らに対する強制執行のため右判決に執行文の付与を受けたけれども、前示のとおり本件建物の収去の執行に着手することなく、判決確定後一年余を経過した昭和三七年一月九日にいたり本件建物の競売を申し立てた。松本弁護士が右のように頗る異例な執行方法をとつたのは、一つには本件建物の収去の執行をするには相当額の費用を要するのに事実上右の費用を粟野らから回収することは不可能であり、建物を収去すれば前記判決による金銭債権の取立も不能となるとの見透しの下に被控訴人の無用な失費を避ける意図に基づくものであつたが、同弁護士の粟野らの財産状態についての見透しは客観的な根拠のあるものではなく、本件建物以外に粟野らがどのような財産を有するかについて調査した上でのものではなかつた。また同弁護士は、何れは収去されるべき運命にある本件建物については競落人も出ないであろうから、被控訴人自ら極く低廉な価額で競落した上、適宜の方法で任意収去をはかるべく予定していたが、この計画もまた次のような経過によつて控訴人が出現したことによりそごを来す結果となつた。元来本件建物は、昭和一二年頃粟野ら三名の先々代が被控訴人先代からその敷地を賃借したときに他から移築したものであつて、建築後相当年数を経過し、これを取去する場合には解体して廃材として使用する以外には利用方法がないので、前記競売に付された当時においては収去されるべき建物としての価額は金四万円を超えぬ程度のもので、これをわざわざ競落するものもあるまいと松本弁護士は考えていたのであつた。ところが、本件建物の競売事件において、裁判所の指定した鑑定人は、本件建物とその敷地につき建物収去土地明渡の判決があるので借地権のないものとしての建物の時価を評価する旨を附記しながら、本件建物の価額は金一四八万円を以て相当とする旨を記載した鑑定書を昭和三七年一月二七日裁判所に提出したので、同年二月二〇日、本件建物の最低競売価額を金一四八万円と定めた競売および競落期日の公告が裁判所の掲示場および日本経済新聞紙上になされるにいたつた。この事実を知つた松本弁護士は最低競売価額が予想に反して余りに高額なことに驚いたが、この公告を見て競買の希望を抱いたものも慎重に調査すれば結局は競買を断念するであろうとの当初の見透しを変えず、万一競落人が出た場合はそのものに対し承継執行文を受けて建物収去土地明渡の強制執行をするのも已むを得ないと考えた。しかし同弁護士は特に右の意図を執行裁判所に申し述べて最低競売価額を建物の廃材としての価額に訂正させるような処置は何もとらず、そのまま競売手続を進行するに任せた。前記各公告中には本件につき建物収去土地明渡の判決がある旨は記載されていなかつたところ、この公告を見て競買の申出をするため被控訴人に問合せをして来た数人の者は何れも前示の事情を聞くに及んで競買を断念した。控訴人は日本経済新聞を見て本件建物が競売に付されていることを知り、更に競売記録を閲覧したり本件建物を実地に見分した結果、本件建物とその敷地について前示のような確定判決があること、本件建物はかなり老朽化した建物で収去した場合には廃材としての価値しかないであろうこと、競売記録によれば本件建物につき賃貸借関係はないとされていたが、実際には粟野らとその家族のほかになお何名かの同居者が本件建物を占有していること等を知つた。しかし一方、控訴人は、本件建物の競売がその敷地の所有者である被控訴人によつて申し立てられたものであること、本件建物が前記のような老朽建物であるのにその最低競売価額が金一四八万円という相当な額に定められて競売の公告がなされていること等に着目し、土地の所有者自身が地上建物を相当な価額で競売に付している以上、建物を競落していわゆる名義書換料程度の金員を支払えば、結局はその敷地を賃借し得るであろうとの見透しを持つた。そして控訴人はこの見透しの下に、本件建物の敷地を賃貸してもらえるかどうかおよびその条件等について、他の競買希望者が行つたように被控訴人に対し直接その意向を確かめることは一度もなさずに同年三月一九日に開かれた第一回の競売期日に臨み、ただひとりの競買申出人として最低競売価額の金一四八万円を以て競買の申出をなし、前示のとおり翌二〇日に本件建物の競落許可決定を得た。その後控訴人は被控訴人やその代理人である松本弁護士を訪れ、本件建物を競落したことを告げてその敷地を賃借したいと申し入れたところ、松本弁護士はこれに対し敷地の時価である坪八万円の八割にあたる坪六万四〇〇〇円位の権利金を支払うならば賃貸を考慮してもよいが、それ以下の額では到底交渉に応じられない旨を答えた。右の金額は控訴人の予想を遙かに上廻るものであつたので、控訴人はその減額方を要求し、その後も何回か口頭もしくは郵便によつて右の要求を繰り返したが被控訴人の応ずるところとはならなかつた。しかし控訴人は新聞社や弁護士会で尋ねたり書物を読んだりして得た法律知識を基にして本件のような場合には法律上当然に借地権を生ずるという独断的な見解を固める一方、前記競落許可決定に対し即時抗告を申立てていた粟野らとの間に本件建物明渡の交渉を進め、同年五月一五日には粟野らは抗告を取下げるとともに同居人四名の立退料として控訴人から金一九万円(その後更に五万円を追加した。)を受取つて本件建物を明渡す旨の約束を成立させ、同月二九日には競落代金を納付し、前示のように同年六月二一日に本件建物の所有権移転登記を得、同月二九日にはその引渡しを受けた。さらに控訴人は同月二八日発の内容証明郵便により被控訴人に対し、本件建物の敷地の賃借条件につき明確な回答がないので、さしあたり賃料として一ケ月金一五〇〇円の割合による金員を供託したこと、被控訴人において賃料およで賃借名義変更料の妥当な額を定めればこれを支払う用意があること、本件のような場合には右敷地につき控訴人には法定借地権があるから、もし被控訴人においてこれと異なる見解の下に提訴するならば控訴人はこれに応じて起ち何年を要しても是非を明らかにする積りであること等の趣旨を表明するにいたつた。一方、被控訴人は前示のように同月一三日に本件建物の競売による売得金のうちから一〇万円余の配当を受けた後、同年七月二三日には前記判決につき控訴人を粟野らの承継人として承継執行文の付与を受けた。これに対して控訴人の代理人古賀光豊弁護士は被控訴人を相手方として本件建物を被控訴人において適当な価額で買い取るべきことを求める調停を申し立てた(この申立は必ずしも控訴人の希望にそうものではなかつたが)けれども、被控訴人がこれに応じないため間もなく調停を取下げた。

以上のように認めることができる。前掲証人および本人の各供述のうち、右認定に反する部分は採用することができず、他にこれをくつがえすに足りる証拠はない。

四、右認定の事実にしたがつてことを考えるときは、控訴人の主張するように、被控訴人が本件建物の競売を申し立てたときに本件建物の収去請求権を放棄したとか、そのときまたは遅くとも競売の公告がなされたときに本件建物の敷地を賃貸すべき旨の申込をしたとか、更には控訴人が本件建物の競落と同時に右敷地の地上権を取得したとか見ることは、何れも困難であるといわざるを得ない。蓋し前判示の事実からすれば、被控訴人は、本件建物の敷地の所有者として本件建物を競売に付し、その競売手続において最低競売価額として金一四八万円という、収去取毀した場合の廃材としての価額を遙かに上廻る額が公示された以上、この競売手続をそのまま続行すれば、本件建物を収去されるべき廃材としてではなく敷地上に存続すべき建物として競落するものの現われるであろうこと、この競落人は被控訴人に対し本件建物の敷地を賃借したい旨を申出るであろうことを当然に予見していなければならなかつたということができる。しかし、一方、被控訴人の意図が本件建物を何れは収去されるべき廃材として競売に付したものであるとの前判示の事実を併せ考えれば、この事実を否定しない限り、控訴人の主張するように被控訴人において建物の収去請求権の放棄とか敷地の賃貸の申出とかの意思表示をしたものと直ちにいうことはできず、他に控訴人の右主張を肯認するに足りる特段の事情は見当らない。また、本件の場合、控訴人主張のような法定地上権に類する権利の発生を認めるべき何の根拠もないから、結局控訴人の前掲各主張は何れも採用することができない。

更に昭和三七年三月二〇日に被控訴人の代理人松本弁護士と控訴人との間に本件建物の敷地の賃貸借契約が成立したとの控訴人の主張事実についてはこれを認めるに足りる証拠がなく、かえつて前認定のとおり、本件建物の競落許可決定後右両者の間に敷地の賃貸借についての交渉が行われたことはあつたが結局交渉は成立するにいたらなかつたと認められるから、控訴人の右の主張も採用することができない。

五、結局、控訴人が本件建物の敷地の占有について被控訴人に対抗し得る何の権原もないこと、および被控訴人が粟野らに対する前記判決に基づいて、同人らの承継人としての控訴人に対し、本件建物の収去とその敷地の明渡の強制執行をなすべき権利を有することはこれを認めなければならないので、最後に右権利の行使が信義則に反し権利の乱用にあたるものであるかどうかを検討する。そうしてこの点の判断をするについては、既に示した一切の事実関係から見て、次に指摘する諸点を考えなければならない。

(1)  被控訴人は粟野らに対する建物収去土地明渡の確定判決を得たのにこの判決に基づき直接粟野らに対する収去明渡の強制執行をする途を避け、本件のような異例な執行方法をとつた。その理由として被控訴人の挙げる粟野らの無資力という点については、これを肯認するに足りる客観的な根拠がなく被控訴人代理人松本弁護士の主観的見透しに基づくものであつたに過ぎない。そしてこのほかには被控訴人が右のような執行方法をとつたことについて首肯するに足りる理由は見当らない。

(2)  被控訴人はその所有地上の本件建物を競売に付したものであつてしかもその競売手続において公示された最低競売価額は収去解体されるべき建物の価額を遙かに上廻るものであつた。したがつて、前判示のように、被控訴人としては右の競売手続をそのまま続行する限り、本件建物を競落すればその敷地を容易に被控訴人から賃借し得るであろうと考えて相当価額で本件建物を競落するものが現れ、その競落人から敷地賃借について交渉を受けるであろうことを当然に予期しなければならない。しかるに、前認定のように、被控訴人代理人松本弁護士は最低競売価額が右のように定められたことを知つた後においても、本件建物の競落人は現われないであろうとの見透しを変えず、万一競落人が出た場合には粟野らに対する判決に承継執行文を得て競落人に対し建物収去土地明渡の強制執行をするのも已むなしとの意図の下にそのまま競売手続を続行させたのである。

(3)  もともと不動産の強制競売手続は、債権者のみならず、債務者、競買申出人等多数の者の利害に関係のある手続であるから、競売を申立てる債権者は、たとえば競売不動産に賃借人のある場合には競落人に不測の損害を及ぼさぬためにその賃貸借の条件等について自己の知る所を競売申立に際し明らかにする義務を負う(民事訴訟法第六四三条第一項第五号)等、自己の利害のみにとらわれることなく、競売手続を公正に行わせることに協力すべき義務があるといわねばならない。強制執行手続は債権者の請求権の満足を究極の目標とする手続でその主導権は債権者に委ねられ、判決手続におけるような対立当事者間の平等は認められない構造をとるものであるから、右の意味における債権者の責任はなおさら重視されなければならない。そうして、最低競売価額は不動産の競売価額の適正を保持し、関係当事者間の利害の衡平をはかるために定められるものであるから、債権者としては適正な競売価額を定めるための資料となる事実は進んでこれを明らかにすることを要し、ことさらにその事実を秘匿するようなことは許されないと解するのが相当である。本件において被控訴人は、競売物件である本件建物を確定判決に基づいて競落後収去すべき意思であることを競売申立に際して明らかにしたわけではない。そして鑑定人の鑑定の結果(鑑定人は右確定判決の存する事実のみは知り得たが、被控訴人の意思自体は確かめ得なかつたため前示のような価額を算定したものと推測される。)が現われた後においても、被控訴人は右のような意思を明らかにして再鑑定を求め、収去解体すべき建物としての評価をあらためてなすべきことを求めたわけでもなく、慢然として競売手続をその進行するに任せたのである。被控訴人のとつたこのような態度は、競売申立債権者に前示したような責任を認める観点から見れば、充分に非難に値するものといわざるを得ない。

(4)  したがつて、被控訴人の右のような態度のため競売手続が進行し、競落許可決定がなされてしまつた以上は、被控訴人としては控訴人からの敷地賃借の申出に対しその条件につきある程度柔軟な態度を示して交渉に応ずるのが当然である。またもし被控訴人において本件建物を収去すべき意思を飜えさないのであれば、被控訴人としては右の意思を控訴人に対して明確に伝え、如何なる条件でも敷地の賃貸はしない旨を明示して、控訴人に競落残代金の納付を断念させ、その被害を最少限度にとどまらせるよう配慮すべきであつた。ところが前示したように、被控訴人は控訴人に対し、敷地の賃貸は絶対にしないとの意思を明示したわけではなく、ただあらたに賃貸借契約を結ぶ場合と同様の高額の権利金を支払えば敷地を賃貸してもよいと答えただけであつた。この金額は控訴人の思惑を遙かに上廻るものではあつたが、しかし被控訴人の右の態度は、もともと敷地の賃借方が可能であるとの見透しを持つていた控訴人をして賃貸借契約の成立についての希望を抱かせる結果となつたものと考えられる。しかも被控訴人はその後も右の賃貸条件を一歩も譲らず、控訴人が右の希望的観測に基づいて前示のようにその後の手続を進め、本件建物の所有権取得登記と引渡を得た後に、承継執行文の付与を受けて建物収去の執行に著手し、控訴人の代理人が控訴人のために申立てた本件建物を被控訴人において適正価額で買取るべき旨を求める調停にも応じようとはしなかつたのである。

(5)  右の競売手続の完了によつて、被控訴人は粟野らに対して有していた僅かな金銭債権を完全に回収し、本件建物に居住していた粟野らおよびその他の第三者も控訴人の手により立退いたので、自らこれら占有者の占有を排除する労(右の第三者を排除するためにはあらたな債務名義を必要とし、交渉によつて任意の立退を得るためにはある程度の立退料の支払を余儀なくされるであろう。)を免れる結果となつた。しかもその上に控訴人に対して本件建物の収去と敷地の明渡の執行を完了した暁には、被控訴人は粟野らに対し本来の債務名義による執行をした場合よりもむしろ手軽に本件土地を更地として使用収益し得る目的を達したことになるが、一方、控訴人は一四八万円の競落代金その他を出捐した上で本件建物の解体された廃材のみを取得する結果となる。

(6)  もとよりこの間における控訴人の一連の行動にも、自己の主観的な予測と独断とに頼つて、慎重な調査を欠き、安易に本件建物の敷地を賃借し得るものと考え、強引にことを進め過ぎたきらいのあることは否むことができない。しかし、控訴人が右のように考えたのも、もとはといえば、被控訴人が敷地の所有者でありながら、本件建物の競売を申し立て、その建物につき定められた最低競売価額をそのままにして競売を続行したことに基因するのであつて、控訴人が右のように考えたのにも無理とはいえない事情があつたと考えられる。また、競落許可決定後の交渉において控訴人が本件建物の所有権取得を思いきらなかつたのも、被控訴人が敷地の賃貸につきあいまいな態度を示したため、控訴人はその賃借が可能であるとの従前の見透しを捨てなかつたからであるということができる。これらの控訴人の見透しは結果的には見込違いに終つたことになるけれども、本件のことの経過を全体として眺めるときは、控訴人の当初の思惑が外れただけであると単純にいいきることはできず、その原因はむしろ被控訴人の一連の行動にあるものというべきである。

以上に指摘した諸点を総合して考えるときは、本件建物の競売申立から控訴人に対する承継執行文の付与を受けるにいたるまでの一連の被控訴人の行動は法律によつて与えられた権利の行使ではあるけれども、その行使の態様において信義誠実の原則に反し、権利を乱用するものであるといわざるを得ない。すなわち、被控訴人は、先ず、粟野らに対する確定判決による権利の実現をするために変則的な執行方法をとり、次いでその競売手続においてなされた最低競売価額をそのままにして競売を続行し、これによつて控訴人に無理とはいえぬ見込を立てさせてその競買申出を誘発し、更に競落人となつた控訴人に対し敷地の賃貸についてあいまいな態度を示しつつ控訴人をして右の見透しの下に競売手続を完了させた上で、控訴人から賃借の申出に対し、前判示のとおり、純然たる更地におけるような新規の賃貸借締結の条件を示すに止まつて(この一事によつて、被控訴人が必ずしも自ら土地の使用の必要に迫られていないことが明らかである。この認定に反する原審証人松本包寿および原審における被控訴人本人の各供述部分は、これをとらない。)、社会的に容認されている所有権が義務を伴うことを自覚することなく、しかも自ら作出した事態に対応しての適正な条件による契約締結への交渉の努力を惜しみ(前判示したところによれば、むしろこのような所為を故意に避けたものとも推認される。)、ひたすらに所有権をふりかざして、控訴人を粟野らの承継人として前記判決に基づき本件建物の収去とその敷地の明渡しとの強制執行をしようとするものであつて、この強制執行が行われるならばこれによつて控訴人は甚大な損害を受ける結果となる。もし被控訴人において、当初から粟野らに対する通常の執行方法をとり、仮にそうでなくとも最低競売価額の公示に際し適宜の処置をとり、更に仮にその処置をとらなくとも競落後の控訴人の交渉に対し明確な態度を示していたならば、控訴人ははじめから競落人とならなかつたか、もしくはなつたとしてもその損害は莫大なものとはならなかつたであろう。しかるに、被控訴人は自己の権利の実現のみを目的とする余り、事ここに出でず、結果において控訴人に莫大な損害を与えるような方法で自己の権利を行使しようとするものであるといわねばならない。そうすると、被控訴人が粟野らに対する確定判決に基づいて、同人らの承継人としての控訴人に対し、本件建物の収去と敷地の明渡しとの強制執行をすることは、権利の乱用として許されないというべく、右判決の承継執行文に基づく強制執行不許の宣言を求める控訴人の本訴請求はこの点において理由があるとしなければならない。

六、よつて、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は不当とすべきであるから、民事訴訟法第三八六条によりこれを取り消して右請求を認容することとし、訴訟の総費用につき同法第九六条、第八九条を、強制執行停止決定の認可およびこれに対する仮執行の宣言につき同法第五四八条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 中西彦二郎 西川美数 秦不二雄)

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